フライデー襲撃事件とは
皆さんは、フライデー襲撃事件をご存知ですか?
フライデー襲撃事件とは、芸能人の北野武(ビートたけし、以下「たけし))さんをはじめとした、いわゆるたけし軍団(東国原英夫、ダンカン、ガダルカナル・タカ、松尾伴内、柳憂怜、サード長嶋、大森うたえもん、グレート義太夫、大阪百万円、キドカラー大道、当時19歳の少年の11名)がフライデーの発行元である講談社を襲撃した事件です。
今回は、このフライデー襲撃事件の内容とその背景についてまとめていきます。
フライデー襲撃事件の流れ
まずは、フライデー襲撃事件の流れを見ていきます。1986年12月8日、たけし(当時39歳)と交際していた専門学生の女性(当時21歳)が、フライデーの契約記者にたけしとの関係性について何度断っても執拗に質問されました。それでも答えようとしない女性に対しフライデーの記者は、テープレコーダーを女性の顔に突き付けたり、手をつかんで引っ張ったりし、腰部捻傷や恵文捻挫などのけがを負わせました。
それに怒りを覚えたたけしは、講談社(フライデーの発行元)に電話をかけ、取材の仕方やけがを負わせたことについて抗議し、「今から行ってやろうか」と言い、翌9日、たけしはたけし軍団11人を連れて東京都文京区にある講談社のフライデー編集部に押し入り、暴行を働きました。
これが、フライデー襲撃事件の流れです。次は、もっと詳しく見ていきます。
ビートたけし@フライデー襲撃事件@1986年(昭和61年)12月9日未明にビートたけしが、仲間らとともに写真週刊誌「フライデー」の編集部を襲撃した。たけしと当時交際していた女性に対し、「フライデー」記者が乱暴な行為をした事が襲撃の理由だった。
— 24/7 (@wage001engineer) 2017年11月26日
当初手を出すつもりはなかった!?
たけしは、当初手を出さないように軍団のメンバーに言っていた、と述べています。たけし軍団のメンバーであり、たけしを一番慕っていたつまみ枝豆が襲撃の際に呼ばれなかったのも、何をするかわからない(手を出してしまう可能性がある)ためだったようです。
ですが、当時のフライデー編集次長の「自分は空手が得意だ」といった内容の発言や、その他の編集者からの挑発するような言動が原因で暴行を働いてしまったようです。
たけしらは、殴る蹴るの暴行などにより1週間から1ヵ月の怪我を負わせました。中には肋骨を骨折したものもいました。
その結果、たけしらは器物破壊や住居侵入、暴行の容疑で現行犯逮捕されました。
フライデー襲撃事件によるたけしらへの判決は?
フライデー襲撃事件により、たけしは懲役6か月執行猶予2年の判決を受けました。他の11名については起訴猶予処分となりました。
フライデー襲撃後、たけしは芸能活動を半年以上自粛しました。しかし、実際には1週間足らずで活動を再開していましが、世間からの批判により自粛期間は半年以上に及ぶこととなりました。この際、世間からは批判の声が上がるとともに、事件の流れや暴行に至った原因により、たけしらに同情する声も上がりました。
事件の背景とその後への影響
フライデー襲撃事件の起こった1980年代は、写真週刊誌による報道の行き過ぎが問題視されていました。特に、フライデーによる報道の行き過ぎは「フライデーされる」という言葉ができてしまうほど問題視されていました。これもたけしに同情の声が上がった理由の一つです。
また、このフライデー襲撃事件により、これまでの過激な取材は少なくなりました。まさに、報道・取材の在り方を変えるきっかけとなった事件だと言えます。
フライデー襲撃事件の際、
たけしが警官に向かって「こいつら(軍団)には手錠しなくてもいいですよね?」、
「こんなことになってすまなかったなあ。」と一言…
軍団全員号泣だったそう北野たけし 感動の実話より
— お笑い芸人 名言 bot (@OWARAI_MEIGEN) 2017年12月6日
現在、そしてこれからの報道
今回のフライデー襲撃事件において、たけしらの行動は決して許されるようなことではありませんが、フライデーの記者による過激な取材や編集部による挑発的な言動にも問題があったと言えます。
そして、現在も「文春砲」と言われる過激な報道が話題となっている「週刊文春」などが注目されています。芸能界からも悲鳴や文句が聞こえおり、同じ過ちを繰り返さないためにも何かしらの改善が必要なのかもしれません。報道の自由があっても、芸能人にもプライベートや個人情報があり、その辺をどうするのかはっきりとしたラインを引かなければまた同じ過ちを繰り返してしまうのではないでしょうか。